「あるある!」は苦しみの根源
先日電車の中でこんな広告を見ました。
新刊の本の宣伝なのですが大きな太字で読者の声として、
「『あるある!』と100回頷きました」
というもの。
いわゆる『あるあるネタ』が日本人は本当に大好きです。
口に出さない些細なことや心に秘めた恥ずかしいことなどを、他の人も同じように思っているんだと共感できることが、あるあるネタの醍醐味。
自分だけではなくみんなも同じと思うことで、とても安心できるのです。
この流行は、日本人の精神的な苦しみを表していると私は感じます。
みんなと同じでないことに対する強い不安感。
その不安を埋めるために「あるある!」と共感できる瞬間を何度も求めてしまうのです。
では、人と比べて不安になったり、人と比べて劣等感や優越感を持つことはどうでしょうか。
自分よりも上手にできる人がいるのではと気になり、しり込みしてしまうことは誰にでも経験のあることですね。
自分より要領よく仕事をこなしていく同僚の先生を見て劣等感を感じたり、
生徒が他の先生の悪口を言っているのを聞いて、心のどこかで優越感を感じてしまったり。
人と比べて不安になることと「あるある!」が大好きなことは、本質的にまったく同じです。
価値基準において、他人と同じか違うかのバロメーターが作動しているということです。
針の振れ幅により、
同じだと安心する
違うとネガティブになる
という感情が作動していると捉えてみるとわかりやすいでしょう。
私はコーチングやカウンセリングの仕事をしているため、何千件という悩みを今までに聞いてきました。
どれだけの悩みを聞こうとも、そこに一つとして同じ悩みはないのです。
生徒AさんとBさんが「あの先生、かわいい子ばかりえこひいきしてムカつくよねー」と一緒になって悪口を言っていたとして、
ムカつくと感じるにいたる2人の心の内側は同じでしょうか?
そんなことは絶対にありません。
Aさんは、親に妹と比較されて悔しい思いをしたことを投影しているかもしれません。
Bさんは、先生にほのかな恋心を寄せていて、自分が可愛がられたいと思っているかもしれません。
この2人はそれぞれの理由で、えこひいきの現場を見て嫌な気分になり、あたかもムカつくという体験を共有しているかのように感じているだけなのです。
一人として同じ人生を生きている人はおらず、一つとして同じ悩みはありません。
そうですよね。
なのに、人と同じでないことに不安を感じる意味がいったいどこにあるのでしょうか?
あなたがキレイになりたい理由と、あなたの友人がキレイにしている理由は全く違うのに、いったいどうやってそれを比較できるというのでしょうか?
あなたが人と同じで安心しようとしたり、自分の悩みを「よくあること」「みんなもそう思っている」と片付けたりしないと決めることです。
自分はなぜそのように思ったのかを自分に問うことができると、相手に対しても同じように接することができるようになります。
宿題を忘れた子に「ちゃんとやってきなさい!」と叱るのではなく、
何故この子は宿題ができなかったのだろう?と興味を持ってあげてみてください。
そこには「あるある!」では片付けることのできない、繊細で美しい世界が広がっています。