「こうあらねばならない」が辛い時は
写真家、橘田龍馬氏のブログ記事より
(受講生からのメール)
1年くらい写真教室に通っているんだけど
みっちりと、
「写真とはこうあらなければならない!こういう写真は写真とは言えない」
を教え込まれて
自分がいいなって思ってカメラを向けても、こう撮ったらいけないから
こうやってっ...て考えると失敗するのが怖くなりシャッターを切れなくなった
っと言うのです!
これは、この人が特別なのではなく多くの人がこういう苦しい思いをして
自分には写真を撮ることが向いていないと思い込み、写真を撮ることが苦しくなり
諦めてしまうのです!
その人は2時間のワークショップが終わった後、私のところに来て泣きながら
「大好きな写真を諦めずに、勇気を出してこのワークショップに来てほんとうに良かった!
写真を始めた頃のワクワクしながら写真を撮ることを思い出しました」と言ってくれました。
言葉も全く同じで、
こんなことを言うと迷惑なのではないか?
こんなことを言うとバカだと思われるのではないか?
こんなことを言うと誰も自分に同意してくれないのではないか?
こんなことを言うと嫌われるのではないか?
そんな風に怖れを抱き、言いたいことを飲み込み、相手が聞き心地の良い無難な言葉を選ぶ。
そうしているうちに『私』はどこかへ埋もれていく。
『私』は本当の言葉を失い、人と会話するのが辛いと感じるようになっていくのです。
相手が自分を理解してくれないからコミュニケーションが辛いのではなく、あなたがあなたの言葉を失ってしまったから、苦しいのです。
言葉はただ、愛を伝えるためだけに存在しています。
ウソだと思いますか?
見失っていた自分の本当の愛に出会ったら、あなたは感動すると思う。
写真はただ、愛を伝えるためだけに存在しています。
あなたがどんなに愛おしそうに子供を見つめていたか、言葉では伝えきれないから。
あなたがどんなにかわいらしい顔をしていたか、言葉では伝えきれないから。
そんな時は写真を撮ればいい。