先生に失望した時
自分の生き方に目をつぶれない人たちの選択肢の一つが、不登校。
その気持ちをはっきり言葉にして表現するのは難しいかもしれません。でも小学生でも必ず自分の守りたい価値観のようなものを持っていると私は考えます。
私は小学生の時、先生に対してぬぐえない負の気持ちを持つ出来事がありました。
小学6年生の時のことですが、クラスの中にお父さんを亡くした子がいました。授業の中でたまたま「お父さん」がテーマになった時、その子はしくしく泣いていました。
そこで少し大人びて聡明だった女の子が、授業が終わってから先生に「Rちゃんが可哀想だから、クラスでお父さんの話題をすべきではない」と訴えると、その先生は「あなたにはそんなこと関係ない」と言ったのです。
先生は気まずかったのか、罪悪感を感じたのでしょうか。
でも、私たちは先生に失望しました。
たとえ小さくても子供は子供なりの美徳、そして譲れないものを備えているはずです。その思いをちゃんと言葉で表すのは当時は難しく「嫌な先生、あの人嫌い」というくらいのボキャブラリで精いっぱいでした。
それは今思えば、先生が人として私たちときちんと向き合ってくれなかったことへの失望だったと思います。
先生はきっとわかってくれると思うから話に言った。なのにそれを検討することなく、心を開くことなく排斥してしまったのです。
高校生だったら、そんな大人は嫌いだとその先生の授業を受けないという選択もできます。
ただもう一つ、別の可能性もあるのです。
先生と生徒というのは、力関係がいつも 先生>生徒というわけではありません。
そう思っているとしたら、それはただの思い込み。
実は教師はいつだって、生徒の存在によって人生を変えられる可能性を持っているのです。
素晴らしい生徒との出会いにハッと気づかされ、自分の教師としての在り方を根本的に見直すことだってあるのです。
大人はわかってくれないわけでもなく、
自分は権力に対して非力なわけでもない。
人の人生を変えることは、その方法を学ぶだけでいい。
私も子供の時からそんな技を知っていたかった、と心から思います。
educationwithstyle.hatenablog.com