『観る力』・・・人身売買と日本
あなたは人身売買という言葉を聞いてどんなイメージを思い浮かべますか?
臓器取引、性奴隷、強制労働など非人道的な組織犯罪で、主にアジアやアフリカなどの貧しい国で起こっている。
そんなふうに認識しているのではないでしょうか。
しかしHuman trafficking(人身売買)のニュースを読んだので少し調べてみると、衝撃的な事実に遭遇してしまいました。
アメリカ国務省が発行している白書によると、
日本は人身の供給源、経由地、密売先として国際社会の中で主要な役割を果たし、先進国の中で最も深刻な問題を抱えている国として認識され、
先進国の中で唯一日本だけが、問題レベルが第2段階の指定となっているのです。
日本は国連G7の中で、唯一2000年の国連TIPプロトコルに調印していない国である、とも。
TIPプロトコルというのは、人身売買、特に女性と子供たちの人権を守り、人身売買撲滅のための努力をするという協定。原文はこちら
日本が抱えている問題として上げられているのは、アジア諸国の人々への劣悪な条件下での過酷労働、そして性奴隷。
性の売買は外国人のほか、国内での未成年者の援助交際やJKビジネス、児童ポルノが問題視されています。
他にも、2015年の報告では、
・再三の勧告にもかかわらず、日本人男性がアジア諸国へ子供の性を買いに行くツーリズムに関して、日本政府は調査も起訴もしなかった。
・物的証拠が挙がっているにもかかわらず、日本政府は強制労働の被害者を特定しようとしなかった。
・政府が供給すべき人身売買の被害者を受け入れるシェルターが足りておらず、NGO団体が受け入れ先となっている。
・国際法で禁じられている人身売買の種類をすべて取り締まることのできる法律が整っておらず、日本政府はその努力を怠っている。
読めば読むほど目を伏せたくなるような事実が羅列されています。
これらの問題は今に始まったことではなく、日本は14年以上もこういった指摘を受け続けています。
引用:アメリカ国務省2015年白書(英語)
これはつまり、政治や経済が安定していて教育も行き届き、世界をけん引する立場にある国々の中で、日本だけが未だ人身売買の問題を解決できずにいる、ということなのです。
先日、国連「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」特別報告者のマオド・ド・ブーアブキッキオ氏が日本の女子学生の13%が売春の経験がある、という発言をし、
のちに日本の外務省からその数字に根拠はないので撤回してほしいという要請があったというニュースがありました。
この一件は、根拠なく13%などという数字を出してきたブーアブキッキオ氏が悪者で、外務省は日本人の汚名を晴らした、というような伝わり方をしていると思います。
しかし、上記のように国際社会から見て人身売買に関する深刻な問題があるということを、当の日本人はほとんど認識していません。
日本のことを何も知らないくせにおかしな言いがかりをつけるな!という日本人の反応は、愚の骨頂としかいいようがない。
共産党のさいとう和子議員がTwitterでこのニュースを取り上げ、
「撤回を求めるなら日本政府がきちんと調査すべきです。実態をきちんと明らかにする責任は日本政府にあると思うのです」
と発言し、反感を買っています。
しかし日本政府が主体となって私たちの人権を守るのは当然のことです。
バッシングする人たちは、いったい何をどう考えているのでしょうか?
再三の注意にもかかわらず、日本政府の人身売買に関する取り組みが最低ラインを満たしていないために国連が調査しに来た、という背景を無視してはこの話の全容は理解できないのです。
また、ブーアブキッキオ氏の来日は未成年者の売春に関する調査が主な目的でした。
NHKニュースでは当初そのことについて取り上げていましたが、なぜかのちに削除されています。
同氏の、援助交際が13%という発言が大きく取り上げて攻撃され、さらに、あたかも児童ポルノ、特に漫画の話が国連のメインの目的ように世間に印象付けられています。
報告書では漫画の話など出てこず、児童の性的な写真などへの警鐘と、援助交際、JKビジネス、着エロといった未成年者の性の搾取、被害者への心のケアなどについてまとめられています。
日本では援助交際をする女子高生を悪者のように扱いますが、子供は犯罪者ではなく被害者であり、人権が尊重されるべき存在として扱われる必要がある、と書いているのが個人的には印象に残りました。
人権という問題に関しての日本人と諸先進国の姿勢の違いが、こういうところからも浮き彫りになる気がします。
End of mission statement of the United Nations Special Rapporteur
情報が溢れかえっているこの社会で、どのように情報を読むか、というスキルはなくてはならないものです。
収集する力
高い視点で観る力
分析する力
そして最も大切なことは、
なんのために?という発信者側の目的を読むこと、
そして自分も目的を持って情報収集や発信をすることです。
本当に社会を良くしたいと思いながらこれらの記事を読んだ時、政府の出した『13%という数字はどこで得たのか?』という質問がいかに不適切かが観えてきます。
どんな意図があって、この発言をしたのでしょうか?
世界から白い目で見られている児童ポルノ漫画を政府が禁止しないのはなぜか?
表現の自由を守る、なんてことではなくて、
禁止と言えば選挙で自分に票が集まらなくなると恐れているからでは??
見えているものの向こうには、必ず見えていない情報があります。
今の日本では、こういった『観る力』を養う教育が圧倒的に足りていないのです。
日本に民主主義はない。
500ページ近くあるので時間かかったけどついに読了した小室直樹の憲法原論。
いやーーーーすごい本でした!!!
別に感動する話が書いてあるわけではないのだけど、
大天才経済・法社会学者、小室直樹の憲法を軸にした世界の描き方が鮮やかすぎて鳥肌が立ち、涙がでそうでした。
- 日本人のための憲法原論/集英社インターナショナル
- ¥1,944
- Amazon.co.jp
憲法は国民のためのものではない。
というところから始まります。
そして話は、マルチン・ルターとカルヴァンのプロテスタンティズムから、ヒトラーの天才的な経済政策、田中角栄のロッキード事件から三島由紀夫の自決まで!
中世ヨーロッパの王政の時代から、宗教改革があり、プロテスタントの予定説があり、民主主義が生まれ、資本主義が成り立ち、アメリカが独立して、日本の民主主義促進のために明治憲法が創られて・・・・という壮大な背景があっての、
三島由紀夫の「現人神である天皇が人間宣言などしてはいけない!」につながる。
小室先生のあまりの抽象度の高さに度肝を抜かれました
500ページ近くもあるけど、とても簡単にわかりやすく書いてあるので本当にスイスイ面白く読めます。
これが高校の政治経済、そして歴史の教科書だったら、どんなに惹きこまれたことか!!
私が校長先生の学校では、小室直樹は教科書として使います、絶対。
全部読むと、ヨーロッパ人たちの血のにじむような試行錯誤から生まれた民主主義における『平等』を、現代の日本人は根本的にはき違えてしまっているというのがよくわかりました。
ヨーロッパ人たちの『平等』は、神という絶対的存在からしたら人間なんて王だろうが小作農だろうが大差ない。
だから言論や思想は自由だし、人権を主張してもかまわないという考え方で、これが民主主義の基盤となっています。
ところが日本人には神の前での平等という概念がわからず民主主義をはき違えてしまったため、学校教育ではみな同じことを学び、みんな同じ思想を持つことが平等ということになってしまった。
結果的に社会主義になってしまっている、というのが小室先生の主張。
本当にその通りだ!!
というか小室先生が亡くなった2010年以後、日本は社会主義から全体主義に走っているようなものと言わざるを得ません、過激発言だけど。
憲法は、国家権力が猛威を振るわないように縛るものというのがその本質なのだそうです。
でも現代の日本では、国民が国家を縛る力があまりにも弱いため、今まさに憲法さえもかえられようとしているのです。
日本の学校はけして、国民の頭をよくするためには作られてはいないのです。
良い大学入って、良いところ(例えば公務員)に就職して、結婚して子供作って、35年ローンでマイホーム買って、老後に余暇を過ごす。
国が敷いたこのレールを進む。
これを社会主義と言わずしてなんと呼びますか?
言論と思想の自由のための、本当の学校が日本には必要です。
『東大合格率』ってホントにダサい~学校経営の本質とは~
inter-eduより
10月と言えば、受験勉強もいよいよ追い込みの時期です。
どの高校を受験するかを選ぶ時、何を基準にするか?
ハイレベルな高校を狙う中学生にとって大きな基準の1つとなるのが、難関大学への合格率です。
私が中学生の時通っていた塾で同じクラスの男の子が、やっぱり東大を目指して開成高校を受験していました。
私は大きな夢の一つとして、自分の学校を創りたいというのがあります。
妄想の中では、私はとってもセクシーで生徒の憧れの的となる、人気者の若い校長先生
ぷぷ( ´艸`)
セクシーかどうかは別として(笑)
私が校長先生だったら本当に奇抜で面白い学校になると思います。
私が創りたい学校の構想は、別の機会に記事にしますね。
とにかく、とびきりカッコイイ学校にしたいのです。
先生たちもそれぞれ生き様がカッコよく、学校の空間自体もアーティスティック。
生徒たちがそれぞれ独自の意見を持てるよう多角的な教育をし、国内外の学生たちとも意見を交換し合う。
けして時代や風潮に流されない生き方の土台作りを学校が担う。
中高生のうちから社会に利益を生み出したり、貢献をして活躍する。
そんな学校。
そんなヴィジョンを持つ私からすると、「うちの高校からは○○大学に何人合格しています」という売りは本当にダサいな、と感じてしまうのです。
魅力があるのはその大学であって、あなたの高校に売りはないの??と疑問に思うからです。
塾や予備校ならばわかります、それが目的だから。
しかし高校も本質的にそれと大差なく、カリキュラムは大学受験が中心軸に据えられていることは明白です。
「あの高校に行って良かった。なぜなら東大に合格できたから」
これって、本当に高校が社会に担う役割なのでしょうか?
もしも、中学高校を経営する方々が自分の生徒たちをはるかに高い視野で捉えることができれば、
自分の学校で3年間預かった生徒たちを、この日本社会、ひいては世界へ貢献する人材としてどんな教育ができるだろう?
そんなヴィジョンが生まれるのではないかと思います。
そこからみると、より多くの東大合格者を出す、という目標がいかに掲げるに値しないものか、少しは見えてくるのではないでしょうか。
学校経営の本質は、世界への貢献であるべきです。
学校経営者のためのブランドコンサルティングお問い合わせはこちら。
【教師向け】生徒の心に刻まれる先生になる!理想のクラス作り講座
あなたが子供のころ、大好きな先生はいましたか?
一体そのうち何人いるでしょうか。
子供の時こんな先生に出会えていたら・・・
と思う先生に、自分がなれるとしたら?
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☆先生として
・生徒の心を掴む話の聞き方と話し方
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☆私生活で
・パートナーとのラブラブ術
・子供との関係の改善。
・同僚や上司から一目置かれる信頼関係の築き方
・心の許せる友人の作り方
・誰に相談すればいいのかわからない悩みの解決
・自分の親との関係の劇的な改善方法
☆自分自身に対して
・自己信頼の取り戻し方
・つい怒ってしまう自分が好きなれない
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・自分が本当にしたいことって何?
・私って教師に向いているのだろうかと自信喪失
・自分にしかできないこと、人生の使命について
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教師である前に、1人の人としてまずはあなた自身が揺るぎない幸せを掴みましょう。
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「あるある!」は苦しみの根源
先日電車の中でこんな広告を見ました。
新刊の本の宣伝なのですが大きな太字で読者の声として、
「『あるある!』と100回頷きました」
というもの。
いわゆる『あるあるネタ』が日本人は本当に大好きです。
口に出さない些細なことや心に秘めた恥ずかしいことなどを、他の人も同じように思っているんだと共感できることが、あるあるネタの醍醐味。
自分だけではなくみんなも同じと思うことで、とても安心できるのです。
この流行は、日本人の精神的な苦しみを表していると私は感じます。
みんなと同じでないことに対する強い不安感。
その不安を埋めるために「あるある!」と共感できる瞬間を何度も求めてしまうのです。
では、人と比べて不安になったり、人と比べて劣等感や優越感を持つことはどうでしょうか。
自分よりも上手にできる人がいるのではと気になり、しり込みしてしまうことは誰にでも経験のあることですね。
自分より要領よく仕事をこなしていく同僚の先生を見て劣等感を感じたり、
生徒が他の先生の悪口を言っているのを聞いて、心のどこかで優越感を感じてしまったり。
人と比べて不安になることと「あるある!」が大好きなことは、本質的にまったく同じです。
価値基準において、他人と同じか違うかのバロメーターが作動しているということです。
針の振れ幅により、
同じだと安心する
違うとネガティブになる
という感情が作動していると捉えてみるとわかりやすいでしょう。
私はコーチングやカウンセリングの仕事をしているため、何千件という悩みを今までに聞いてきました。
どれだけの悩みを聞こうとも、そこに一つとして同じ悩みはないのです。
生徒AさんとBさんが「あの先生、かわいい子ばかりえこひいきしてムカつくよねー」と一緒になって悪口を言っていたとして、
ムカつくと感じるにいたる2人の心の内側は同じでしょうか?
そんなことは絶対にありません。
Aさんは、親に妹と比較されて悔しい思いをしたことを投影しているかもしれません。
Bさんは、先生にほのかな恋心を寄せていて、自分が可愛がられたいと思っているかもしれません。
この2人はそれぞれの理由で、えこひいきの現場を見て嫌な気分になり、あたかもムカつくという体験を共有しているかのように感じているだけなのです。
一人として同じ人生を生きている人はおらず、一つとして同じ悩みはありません。
そうですよね。
なのに、人と同じでないことに不安を感じる意味がいったいどこにあるのでしょうか?
あなたがキレイになりたい理由と、あなたの友人がキレイにしている理由は全く違うのに、いったいどうやってそれを比較できるというのでしょうか?
あなたが人と同じで安心しようとしたり、自分の悩みを「よくあること」「みんなもそう思っている」と片付けたりしないと決めることです。
自分はなぜそのように思ったのかを自分に問うことができると、相手に対しても同じように接することができるようになります。
宿題を忘れた子に「ちゃんとやってきなさい!」と叱るのではなく、
何故この子は宿題ができなかったのだろう?と興味を持ってあげてみてください。
そこには「あるある!」では片付けることのできない、繊細で美しい世界が広がっています。
子供からの愛を感じる時
あなたは、自分の子供から愛されていると感じる時はありますか?
私はある時、そのことに気づいた瞬間がありました。
息子の聖慈が夕食が終わった後、みんなのお皿をキッチンまで片付けてくれている姿を見た時のこと。
いつもなら、言われなくてもお手伝いしてくれるなんて偉いね~と思うのですが、その時私はその姿に、
「ああ、聖慈は私たちのことをとても愛してくれているんだ」という思いが沸き起こってきたのです。
お手伝いをして褒められようとしているわけでもなく、
偉い子になりたいわけでもなく、
ただ愛しているだけ。
今日の聖慈と私のランチは花巻5つと肉まん2つ。
花巻を2つずつ食べて、最後の1つを「聖慈くん食べていいよ」と言いました。
私がお水を取りに席をたって帰ってくると、
花巻は、お皿に半分残っていました。
子供から大人に向けられる愛は、強くて純粋、
そして無条件の愛。
あなたが愛されていることを喜ぶ時、
子供は愛することの喜びを味わうことができます。
第2回スタディグループ活動報告
9月26日、第2回EWS(Education with Style)スタディグループを開催しました。
まだ2回目だというのに、びっくりするような勢いでこの活動が色を帯びていきます!
今回は積極的に日本の教育をよくするために活動をしたいと願う方々が私を含め7人集まってくださいました。
皆さん真剣に明るい未来を創ろうという方ばかりで、本当に心強い限りです。
今回のスタディグループでの進展は、
・現および元不登校学生を集めてクリエイティブな活動を行っている大学生グループと意見交換する場を設け、ともに活動できることを考察する。
・参加者のご紹介により、不登校児童を集めた学校をされている方と交流の場を設ける。
となりました。
私個人としては、
学校に馴染めない子供たちのために新しい道を模索するとともに、学校に馴染めない先生たちが本当に心豊かに教育できる環境づくりの活動も進めていければと思っています。
EWSの活動やスタディグループにご興味のある方はぜひお問い合わせください。
また、不登校児童向け写真教室やコミュニケーション講座、夢を叶える脳の使い方講座などもご依頼お待ちしております。